吉増剛造さんについて

吉増剛造さんについての個人的な記録

吉増剛造さんについて⑨

 

【桜の雨のなかで】

 

2018年5月13日  桜が散り始めた札幌、肌寒く小雨の降るなか、詩人 吉増剛造氏のトークイベントへと足を運んだ。
新刊『火の刺繡』編纂の経緯について、北大名誉教授 工藤正廣氏との対談であった。

 

 

昨年9月、バンド空間現代と吉増剛造氏の烈しいライブを体感してから8ヶ月。
きっと今日も吉増剛造氏は、すでにアトリエと化した会場で金槌を手に銅板へと向かっておられるだろうと、その白馬のようなお姿を思い浮かべながら紀伊國屋書店へと急いだ。

 


この8ヶ月間、吉増剛造氏は、わたしが知る限りでも、東京、欧州、京都、旭川、沖縄、、、と神出鬼没なハードスケジュールをこなされている。
久しぶりにお見えになる札幌の空に、もっと晴れてくれよ、と言いたくなった。

 

 


百席ほどが設けられたガラス張りのインナーガーデン。目に入ったのは、窓際に配されたオブジェ。それは、イベントの2日前まで同書店で開催されていた[吉増剛造展]で展示されていたものである。


横たえられた樹木。美しく湾曲した幹から、悲鳴か或いは叫びのように四方に伸びた枝は、何かを掴みとろうと、異世界からこの世に伸びた巨大な片腕のようにも見える。

その中央に、手のひらに乗せるような形で配された長い銅板。そこに刻まれた『火の刺繡』の文字。


この銅板は、生前35年にわたり吉増剛造氏と共同制作をされていた彫刻家 若林奮氏が吉増剛造氏へと遺したものである。
昨年8月、札幌国際芸術祭の吉増剛造展でも目に焼き付いていた。

 

あのときの銅板の印象は非常に重々しく、断片には鋭さを漂わせ、銅板の上に文鎮のように置かれた小石を抱いて生を受けた瑞々しさに輝いていたが、それは自然物と同化することで、全く異質な生きものへと変幻していた。

 


そのオブジェの傍らでは、やはり吉増剛造氏が新たな銅板に文字を刻みつけているところである。目を凝らすと、sapporoの文字が見える。
トークイベント開催までの20分あまり、その所作を見学させていただくことができた。

 

 

 

 

約1時間半のトークは、詩集に関するありとあらゆる話題について、愉しく、興味深く、奥深く研ぎ澄まされた柔らかさで話されていた。


特に印象的だったのは、工藤正廣氏が、ふるさと津軽の林檎をふたつ、おもむろに茶色い紙袋から取り出された瞬間の、あの空間に染みた赤と黄色。
『火の刺繡』から15行のロシア語訳の朗読。
「恥ずかしいから歌わない」と仰っておられたにもかかわらず、終盤、意を決したように熱唱されたロシア語の歌。
目と耳と心に、深く刻まれた。


吉増剛造氏からは、欧州ツアーのライブで、意図せずして、パスイを頭に乗せたという自分自身の中から湧き出る未知の行動によって、言葉のない世界との通路ができたということ、同時発話の復元というこれからの課題、未完成感を刻み、未達成感を続けていくこと、時に言葉を枯らしその先に(うた)を見つけるということなどを惹きつけて離さない語り口で述べられていた。

 

 

 


トーク終了後、吉増剛造氏はふたたび銅板の元へ行き、いつものようにアイマスクを付け、さらに口を塞ぐように顔の下半分には紙を貼った状態で、sapporoの文字が刻まれた銅板に鮮やかな朱色のインクを垂らしていく。空閑の筆が踊る瞬間である。
それから、アイマスクと紙を剥ぎ取り、晴眼(わたしの位置からは定かではないが、たぶん閉じられていたように思う)で、さらにドリッピングしていく。


その後、オブジェへと向かい、彫刻家若林奮氏が残した「コンマ1ミリの銅板」から発せられる声を聴こうと、その頭上へインクを垂らす。


重力に従って、無抵抗に銅板へと落下していく朱色の液体が接地点で放った声は、吉増剛造氏の一瞬の叫びに象徴された。
その絞り出すような声と声の共鳴と同時に、一体となった樹木と銅板は美しく乱れた。

 

 

 

 


録音させていただた約1時間半のトークを何度か聞き返し、そこに刻まれた声と、不思議な子どもの歌声や電車の音が交錯して、ここにも[同時発話]の美しさと強靭さが存在していることに気付かされる。

 

 

 


一週間後の今日、札幌は初夏の陽気に包まれ、北の地域では桜もまだ数多く残っている。

 

 


吉増剛造氏の所作に、心の芯が震える恐ろしさを抱きつつ、また、いつかの機会に体感できることを愉しみにしている。

 

 

2018年5月20日

 

 

 

 

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