吉増剛造さんについて㉒
この10年、わたし自身の綴る言葉が詩であるのかどうかをずっと問うて来た。即ち、「詩とは何か」である。
この度の吉増剛造さんの著書「詩とは何か」はわたしにとって正に今と言うタイミングだった。
一度ゆっくり通読してみて、わたし個人の感想としては【第二部 詩の持つ力とは何か】が圧巻の面白さだった。
引用// 詩の「きれいな」形を拒むのはなぜなのか。それはわたくしめの中に、「直線というのは存在しない抽象的なものである」という考えが根強くある。p179
日本人の多くが持つキレイな美意識、わかりやすい絵画や詩にわたしは何故か惹かれない。しかし、こどもの発する粗野な絵画や言葉にはハッとさせられる部分があって、この吉増剛造さんの言葉はとても腑に落ちた。そして、4年前のわたしの日記に「自然の中に直線はない」とあった事も偶然の合致である。
引用// これは朔太郎が見事に言ったことですが、わたくしたちは、まさしく未完成を目指している。それが自由詩の夢のような領土である、と。p190
途中、ショパンの話も出て来たので、17,18才の1番多感な時期に深く、深くわたしの内臓化しているショパンの曲を聴きながら、改めて気づいた。「革命」の唐突な終わり方にものすごく惹かれる。人間は間違える、誤ることで生まれる注視力の向上があって、音楽に限らずスケート等でもそうだが、滑らかにスムーズに進行している時よりも、躓いてしまった後の方が見ている方は興味を惹かれてしまう。人は続きを求めてしまうし、未達成感がまた次のステップへと人を運んで行く。これもまた実に身に染みて思う事である。