吉増剛造さんについて

吉増剛造さんについての個人的な記録

吉増剛造さんについて㉓

 

吉増剛造さんの著書『詩とは何か』の中では、ご自身の詩作についても語られていて、その中で衝撃の告白があった。

 

引用//   最近わたくしは、細かい日常的な記述を、詩作のプロセスとしてきたんだなと思うようになりました。必ずしもテーマがあって、何かを提出しようとして書くもんじゃない。……(中略)ものすごく細かい、どうでもいいような、ごみみたいなところに謎があるというのを本能的に知ってるのね。観念や頭から行くんじゃなくて、その辺のごみから行く。最初からそう。それは書くことが何もないということとも結びついています。p223

"書くことが何もない"この衝撃的な言葉について、深く考えさせられた。

"書くことが何もない"状態から六十年以上書き続ける。その行為の奥行きの深さ。実際、わたしも日常のほんの些細な欠片が詩に成り得ると知ったのが十年と少し前、小池昌代さんの詩に出逢った時だった。それ以降、自分自身も日記を書くように言葉を紡ぐようになっていった。物語りではなく、生々しい地声の言葉として。プラス突発的な心の動きの記録。心が動かなければ書く行為に昇華できない。

本書のなかでは、いよいよ吉増剛造さんの詩作の核心に話が及ぶのだが、そこでは詩集「石狩シーツ」の話しが出てくる。わたしの育った場所であり、吉増剛造さんとのご縁をくれた場所である。そして、吉増剛造さんの我が詩的自伝「素手で焔をつかみとれ!」にも書かれていた詩との出逢いについても振り返られていた。

そして、最終的に「詩とは何か」について、吉増剛造さんの現在地から話して下さっている。その核心について、受け取り方は千差万別と思う。唯、わたしにとっては「詩とは何か」=「何故吉増剛造さんに惹かれるのか」の答えを見つける事が出来た一冊であった。

 

 

 

 

 

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