吉増剛造さんについて⑧
2017.9.1の吉増剛造さんと空間現代の烈しいライブは、吉増剛造さんご本人が"極限までいきました"と仰っていた通り、5年経った今でもあの空気が浮かび上がる。
踏みしめるたびに声を上げる木の床、仄暗いなかでぶつかり合うガラス瓶の音、そして炎。
吉増剛造さんの身体から湧き出て来る膨大なエネルギー。それを受けとめるわたしたち。
静と動の切り替わりとすさまじいせめぎ合いと融合。
たった一度だけ繰り返される絶叫の数々。
吉増剛造さんが銅板に点を打ち込み、それが文字になっていく様は、一本一本横糸を通しながら織り上げていく布の様にも感じ、烈しいパフォーマンスは空間に彫り付ける彫刻作業のようにも感じた。何度も石狩に足を運ばれているので、ご存知ない訳はないが、わたしは吉増剛造さんと本郷新氏の間に縁を感じている。彼もまた彫刻に身を捧げた人、生涯を通じ"形とは何か"を追求した人である。
吉増剛造さんとの初めての"見せる(魅せる)""見る(魅せられる)"と言う作業は、「生まれて死ぬ」人の一生そのものの凝縮であった。だからこそ今だにあの瞬間をわたしは背負い続けているのだと思う。