吉増剛造さんについて

吉増剛造さんについての個人的な記録

吉増剛造さんについて㉑

吉増剛造さんが『詩とは何か』を出版された。予約してから頁を展くまで、わたしにとって"詩とは何か"と想いを巡らせていた。

その時にふと思い浮かんだのが、鴨川で赤いバケツと赤い紐を使って詩的な風景を作り出していたカニエ・ナハ氏の姿である。「詩よりも詩的なものに憧れる」「詩的な風景の一部になりたい」と語られていたカニエ・ナハ氏。それは「詩に対する憧れ=恋愛感情のようなもの」を持ち続けておられる吉増剛造さんと非常に近いと言える。詩的とは、異常性とかある種の非日常性を含む場面である。テーブルに置かれたアボカドを2つに切り食する時、それがどうなる事が詩的となるのか、と今目の前にあるアボカドを見て思う。アボカドに刺さったままのナイフ、あるいは赤い唇に咥えられた鮮やかな緑のアボカド……。刺激的な非日常性でなくとも、葉の1枚も残っていない白樺に透けた夕陽が当たっている様や誰も何もない部屋の真ん中に青虫がいたとしたらどうだろう。

そう考えて行くと、詩とは色と光と動きが間違いなく関係してくる気がする。関係してくると言うよりも、結びつきやすい、イメージしやすい、と言う事だろうか。

吉増剛造さんの立ち居振る舞いすべてが詩的に感じられるのは、詩に対する憧れの具象化のように思う。

まず、このようなイメージを膨らませながら1頁目を展く。

 

 

 

 

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