吉増剛造さんについて

吉増剛造さんについての個人的な記録

吉増剛造さんについて⑰

 

2020年4月に始まった吉増剛造さんのYouTube配信【葉書ciné】は、第53回(約1年)で終了の予定だった。しかし、嬉しい事に【Smoky Diary】として更に続けて頂ける事になった。

不安だらけの日常で、吉増剛造さんのいらっしゃる場所は確かな詩の印の旗が立ち続けているようで、拝見する度に背筋が伸ばされるおもいだった。

もうすぐ半年が経ち、毎週木曜日に送られて来る手紙は終わりを迎える。

家を持たない詩人とも言われていた吉増剛造さんである。今後のご活躍が楽しみな反面、とても寂しく思う。

何歳になっても、毎日が新しく発見の連続である事を見せてくださった事に深く感謝している。

 

 

 

 

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吉増剛造さんについて⑯

2020年4月30日に始まった吉増剛造さんのYouTube配信【葉書ciné】を初めて観て聴いた時、新しいエッセイを捲るような感覚だった。

 

 

吉増剛造さんの柔らかな声と呼びかけ。

"ごめんなさい"……

"ごめんなさいね"……

まるで初めて訪れる家の木戸を控えめに叩くようだ。

 

吉増剛造さんのカメラとマリリアさんの歌と背景から聞こえる子供たちの声……

[同時発話]の美しさ。

不思議な時間が流れる空間だった。

 

 

この【葉書ciné】の制作を担われている書肆吉成さんと言う札幌の古書店。札幌と言ってもどこにあるのか全く知らずに居て、たまたま入ったレストランの2階の窓からふと下を見ると、すぐそこの信号の横に青い看板「書肆吉成」が見えた。本当に驚き、又ご縁を感じた日だった。

 

 

 

 

 

本日、2021年11月11日(木)

最後から2番目となる【葉書ciné】を拝見した。

終盤には、吉増剛造さんが手書きの罫線が引かれている紙に向かわれていた。

吉増剛造さんについて⑩」で、"文字のない罫線のような一生"と綴った言葉が現実になって現れ、驚きとともに今までの数々の偶然に感謝しつつ、来週木曜日の最終回を迎えたいと思う。

 

 

 

 

 

 

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吉増剛造さんについて⑮

 

吉増剛造さんの新しい映画のタイトルが『眩暈 Vertigo』に決定し、クラウドファンディングの参加特典として、吉増剛造さんの詩の朗読に参加させて頂ける事になった。

 

 

2020年5月、井上春生監督から録音機材が送られて来た。

頂いた原稿を自分の文字で書き、何度か自分のiPhoneで録音して音の高さを調整し、本番は一回で録り終えた。

聴き返すと、ずいぶんと低くドスの効いた声だったが、これが今の自分に出せる全てだと思ったし、他の参加者の皆様と襲ねられる事によって面白い物になるような気がした。

2018年に、吉増剛造さんの話されていた"同時発話"の可能性に少しでも近づく事が出来れば本望だと思った。

 

 

 

 

 

 

 

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吉増剛造さんについて⑭

 

2020年3月20日

当初の予定から2日遅れではじまった
【しごとバー】詩人の生き方ナイト


銅板も金槌ももたずにスタンバイしておられる吉増剛造さんを思い浮かべながら、楽しみにお待ちしておりました。

映し出された手元には書物とペン。そして、お元気そうなお姿と茶目っ気たっぷりのお話しを伺いながら、わたしの頬は緩みっぱなしでした。

六十年以上の詩との付き合いのなかで、いままで生きてこられた術や詩に対する想い(まるで恋愛感情とでもいうような)を述べておられました。

今回は触れておられませんでしたが、吉増剛造さんの著書「素手で焔をつかみとれ!」のなかで生い立ちについて印象深かった一節があります。

小学生の時に詩を書く時間というのがあり、吉増剛造さんはタイプの全く違う詩を三篇書かれ、「この子できるな(ご自身のこと)」と手応えを感じられました。そして、国語の先生も先生という枠を超えて、その魅力に感嘆された。それが最初に書かれた詩だったということでした。

また、札幌芸術祭のライブ前にパフォーマンスと語りの時間を取っていただいた折に、ご自分の作品を石狩河口へ持っていって三百枚くらい燃やしちゃったと仰いました。

「初めから終わりまで、、、書きはじめるから滅びていくところまで、じぶんで全部やろうとし始めたんだ、、、うん、言えた。これで言えた。」

あの時、その告白に立ち会えたことはとても崇高で得がたいものを目撃した瞬間でした。

そして、約二年前の『火の刺繡』完成イベントの折に「現代詩なんて難解だヘチマだなんて言われて苦労している」と一瞬の鋭い眼差しで発せられた言葉は、今まで戦ってこられた大変さを垣間見せてくださったのだと思います。


鏡に映った自分の顔(皆が見ているのとは真逆の)を見ているような、目を瞑って愛するひとのボディラインをなぞっているような、水で書いた文字の解脱のような、微熱のある旅人のような、駆け上がるそばから消えていく背後の階段のような、それらすべてが宇宙に浮かんでいるような、誠に不思議な吉増剛造さんの魅力に取り憑かれています。

それは、文字だけでなく、お話しの様子や仕草からはより一層魅力的に、パフォーマンスでは見る者に強い生命力を頭からぶっ掛ける、映画の主人公としてはただ歩いているその姿が信じられないオーラ(生体が発散するとされる霊的な放射体、エネルギー)を発散しているのです。

それは、わたしにとっては生きている絵画のようだと思っております。


いま、製作中の映画『眩暈 Vertigo』は吉増剛造さんの盟友故ジョナス・メカスさんと、そこに立ちあがる未知の通路を記録したものになるようです。

どうか無事に完成して、待っている方々のもとへ届きますように。

 

 

 

2020年3月25日記

 

 

 

 

 

 

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吉増剛造さんについて⑬

 

2020年1月から4月にかけて、月に一度のペースでクラウドファンディングに参加した。

吉増剛造さんの新しい映画『残響』(仮題)への参加だ。どうしても完成して欲しいと思い、完成するべき映画だと思った。

 

井上春生監督からは、参加者に対してこまめに進捗状況の連絡が届き、期待に胸を躍らせていた。

 

しかし、新型コロナの世界的大流行……。

 

 

 

こんなんじゃせっかく完成しても、東京まで観に行けない……

 

 

 

2020年4月30日

吉増剛造さんのYouTube配信【葉書Cine】が始まった。映画の公開に気を揉んでいたわたしは、この様な形で、吉増剛造さんの映像を見る事が出来、お声を聴く事が出来た事が信じられない気持ちだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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北海道の遅い桜が咲く日であった

 

 

 

吉増剛造さんについて⑫

 

 

 

 

 

「友達のメカスって奴がいてさー

 

    剛造、これくれ って
    オークションで売るんだ って」

 

 

 

 

 

 

初めて吉増剛造さんのライブに行った時、インクを滴らしかけていた手を止め、嬉しそうに話してくださった。吉増剛造さんのユーモアに、会場は優しい笑いに包まれていた。

 

 

 

 

それから1年4ヶ月後の2019年1月

ジョナス・メカス氏が亡くなった。

 

あの時の吉増剛造さんの笑顔がジョナス・メカス氏との交友関係の深さを物語っていた事を思い出し、わたしの胸中も哀しみでいっぱいだった。

 

 

 

 

2020年1月

吉増剛造さんとジョナス・メカス氏の映画制作が始動した。

吉増剛造さんがニューヨークでジョナス・メカス氏のご子息セバスチャン氏に再会し、ニューヨークでの収録を終えたのは、新型コロナの世界的大流行直前の事だった。

 

 

 

 

 

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吉増剛造さんについて⑪

 

2018年12月

吉増剛造さんの映画『幻を見るひと』が国際映画祭で10冠を受賞され、東京で公開されていると言う情報を目にしていた。

 

 

それから9ヶ月。

突然の"札幌上映"と言う吉報が舞い込んできた。上映のわずか2週間前!

東京以外では初となる、一夜一回限りの特別上映会。ラッキーな事にその日は仕事が休みの日だったので、すぐにチケットを買いに走った。

 

 

2019年9月20日

シアターキノの赤い小さなシートに(正座している気持ちで)坐り、ここに居る人たちは皆、間違いなくわたしと同じ一面を持った人たちなのだと、去年のトークイベントや、一昨年のライブ会場でも感じた静かな喜びがあった。

映画『幻を見るひと』は、誰もが言う様に井上春生監督による圧倒的な映像の美しさが、吉増剛造さんの年輪の豊かさを更に高めていた。

上映終了後には、支配人より「今回の札幌上映については、吉増剛造さんもとても喜ばれていました」と言うお言葉があった。

わたしは吉増剛造さんの知らない所で、吉増剛造さんによって幸せを与えられている。

そして、憧れという終わりのない愛のかたちに生かされ続けている。

その後、ずいぶん後になってから井上春生監督のご好意で、何度か本編を観せて頂く事が出来、ご縁を得た事に感謝の気持ちでいっぱいである。

 

 

 

 

 

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