吉増剛造さんについて

吉増剛造さんについての個人的な記録

吉増剛造さんについて⑲

 

 

 

 

東京国立近代美術館の展覧会では、膨大な量の声テープが展示されていた。詩、インタビュー、対談、記録、ets……吉増剛造さんが録り続けて来られた物である。

何度かお会いし、身振り手振り佇まいを拝見していて、いつも思うのは「ずっと回っている」と言う印象である。吉増剛造さんを記録している見えないカメラがずっと回っている。どの角度からでもどの瞬間でも、常に全身詩人の吉増剛造さんがいらっしゃる。生きておられる限り、詩人でない瞬間はない。

それが如実に現れている映像記録のひとつに、『Edge 吉増剛造編 心に刺繍をするように』がある。たった3分余りの映像の中で、例えばカメラを構える時、例えば大きな鞄を持ち歩く時、例えば島人の唄に耳を傾ける時、吉増剛造さんを撮っている吉増剛造さんの眼がある。俯瞰が際限なく繰り返されている。

それは、詩人田村隆一氏にも共通する様に思うが、田村隆一氏は"ひとり"と言う影を振り払い振り払い生きた方だと感じる。

 

 

 

 

<以下、引用>

発信地不明/吉増剛造


水銀が沈んだ日から光がさしはじめた。梨の木も二十年ぶりにハッシと音をたてて裂けた。New YorkであろうかKamakuraであろうか、光がさしはじめた。その発信地は判らない。なぜなら田村隆一氏は死語の堆積するこの大地には住所を持たぬのだから。日付変更線のあたり、やがて処女地がみえてきて、そこでは我々は裸足の、砂だ。田村隆一は沈黙。我々はおしゃべりな裸足の砂だ。光がさしはじめ、「新年の手紙」が渚に置き去りにされている。「四千の日と夜」のはるかなかなたから、手紙は光年の束となり、砂地に投げだされた!


田村隆一詩集「新年の手紙」の帯より

 

 

 

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